妹よ 02

俺は追われている。

よくやるクロスワード誌の締切ではない。豹変した妹から一刻も早く叔父を護らねばならないという時間のプレッシャーが俺の精神に重くのしかかっているのである。まるで「稲妻の落ちる速度よりも早く食べろ」とかいう由来を持つエクレアのようだが、俺自身はまず、叔父をどうやって護ればいいのか……?

俺のアタマに対してはこんな答えしか浮かんでこない。そもそも魔法少女が魔法少年精鋭部隊に入って叔父を攻撃してくるとは夢にも思わなかったし、叔父が狙われたら御堂筋線を運転している轍雩のことも心配になってしまう。下手すれば彼の身分上に変な摩擦が生じて契約を外され、確実に殉職させられるかもしれない。それもそのはず〈毒蛾D〉から見た轍雩は、只々「さすらいの戦士」という二つ名の男でしかないのだから。

俺は、その通り「何かから追われている」ような感じで大阪駅前を奔走していた。高速デパートに逃げ込もうとしても黒山の人だかりで抜け出す術が見当たらなかった。無論辺りは再開発の最中だし、肉眼には決して見えがたい隊員からの視線を遮断する安全地帯といえる建物は二番地の高速ホテルしかない。一番地の第二ホテルはすでに宴会場のほとんどが貸切られていて、他の魔法少年部隊の活動の温床になっている。高速ホテルはそこに比べると人通りが少なめだし、理屈抜きで清潔な場所に感じられたからだ。

……と思っていたのだが、2階の「アガスティア」という名のティーラウンジ前に辿り着いたところで、また恐ろしいものと遭遇してしまった。どこからともなく、人間と同等の大きさをした口紅やらおしろいやらファンデーションやらが、やたらと小刻みな移動速度で俺の後をついて来たのだ。顔も手脚も全く付いていない。ただ、巨大化しただけの化粧品だ。どこの誰のものでもない化粧品の軍団が、俺の中の“何か”を求め、牙を剥いている………そう感じ取った自分の本能が発動し、俺は自然に武器のスタンガンを構えた。すると、そいつがすかさず群れに向けて36発を連射し、群れは一瞬のうちに窓ガラスをぶち破って福島方面に吹っ飛んだ。

「うちの叔父さん、どこだ!!?」

不意に俺の口から上擦った叫び声が出た。ハリウッド俳優の真似をするかのように、突発性のアドリブめいた台詞をかました自分が、自動的に叔父を護るための行動に出るなんて。そして俺は急ぎ足で奥の階段を降りて地下通路に出た。天井には12星座の図とヒンドゥー的な曼荼羅、明け星を象徴化した写実主義的な図が描かれていた。時刻がちょうど午後8時をまわったところで、それらはモーグ・シンセサイザーのような音色の時報と共に微かな光を放ち始めた。全部が内部に電灯を仕込んだステンドグラスだったのである。

叔父はここにいる。この梅田地下街の奥地で叔父は俺の帰りを待っている、と伝えてくれーーーー

俺には、この光のじんわりとした点滅が自分に向かってそう伝言しているように思えた。

やがて、高速鉄道の改札にようやく近づいてきたその時。俺の眼前を、微かに緋い何かが横切った。もしかすると、こいつは〈毒蛾D〉のあの緋い羽なのかもしれない。エリュシオンと禁断の契印を交わし、俺自身でさえ全く知らないはずの「異界での生活」を傍観しながら、過去の叔父につるんでいた人間を完膚なきまでに暗殺しようとしている暗黒の毒蛾が!