年表

1946年:ソ連(当時)の集団農場コルホーズから旅立とうとし勢い余って大阪に不時着してしまった共産主義労働者、アルメニア人の白鳥少女ガイーヌと王子アルメンが梅田にあった闇市を「幻舞」という謎のパワーでほとんどぶっ壊し、永遠の愛を誓って曽根崎で心中する。

1951年:日本初の民間放送局「新大和放送」が開局。阪鉄百貨店(梅田阪鉄ビル)の屋上にサテライトスタジオを設置する(のちの蝶番の園)。

1953年:千日前の楽園ビル着工。この時、ガイーヌの亡骸から誕生したヒューマノイドを名乗る青年ダイアン・ロアールが、闇市をやっていた人々の子供達に向けて宣戦布告。「戦後の日本を掌握するのは東ではなく西だ」「お前ら難波宮からやり直せ」などと主張し、大阪人のほとんどが挑発に乗って彼に牙を剥き始める。これが俗にいう「梅田冬戦争(ウメダ・ウィンターウォーズ)」であり、全てを失った梅田の今後をどうするかで国を挙げた凄惨すぎる内戦が繰り広げられ、大阪は一度、存在しないはずの大国「風籟帝国」によって植民地化されたと言われている。

1955年:4月1日、血淵の奥地に咲いた黒蓮華から梅田團治郎爆誕。ダイアンが死に際に投げた不発弾が、その花の種となった。

1956年:5月28日「大阪俗謡による幻想曲」世界初演。角田町に梅田高麗劇場が完成。7月13日、薮内徹が堂島浜で爆誕。

1958年:6月23日、同じ黒蓮華から梅田修三爆誕。大阪が風籟帝国から日本に返還され、高度経済成長期が始まる。しかし、その代償として文明の進歩を同時代で停止させられたと「行原産業」なる企業から宣言されてしまう。時を同じくして新大和放送が解散。残った局員達により設立された民放テレビ局「チャンネルM4」が開局する。

1959年:梅田一番地で密かに建設が進められていた大高速ビルディングが完成、高速百貨店開店。

1962年:新阪鉄ビル完成。低層階の商業施設は「花の阪鉄九十九番街」と名付けられるが、「苦渋苦」となってしまう為すぐに「八番街」に改名した。

1963年:高度経済成長で爆発的に増えた乗客に対応する為、当時の阪鉄(京阪神都市鉄道)社長・大林和巳が梅田阪鉄ビルの位置にあった梅田駅の大阪駅北側への移設を決定する。梅田地区の東半一帯にウメダ地下センターが完成、11月23日に開業。「東洋一のマンモス地下街」と銘打たれ、アメリカの新聞でも「日本の商店が地下に潜った」と報じられるが、その記事を書いていた記者には反日感情が渦巻いているという噂が立つ。

1964年:新阪鉄ホテル完成。東海道超特急の開通に合わせて国営鉄道/地下鉄御堂筋線の新大阪駅が開業。時を同じくしてザ・ウォールの建設が開始されるが、一番地で商店を経営していた区分所有者が結成した「一番地解放軍」によって地鎮祭大虐殺事件が発生、野次馬も巻き添えにされ一万人以上殲滅される。この事件の影響で、大阪からほぼ全ての大人が消えたと言われている。

1966年:7月1日、行原産業が大淀区大淀南の新社屋に移転。先代(創業者でもあった)代表取締役社長・行原康の一人息子で現役中学生だった行原司が次期代表取締役社長に無理矢理就任させられる。その直後、團治郎と修三が堕天使寺院での生贄承認試験に合格。團治郎は去勢手術を受け、血淵と繋がっている寺院の地下から梅田に上陸し、剣士として暗躍するようになるが、修三は試験中に彼の姿を見失い、以降8年間も行方不明になっていた。

1968年:4月、ザ・ウォールⅠ号館が完成。千里丘陵での万国博覧会が二年後に迫り、大阪中が不安に包まれる。

1969年:5年間に渡る社会からの排斥に立ち向かい続け、紆余曲折を経て集団移転してきた一番地の問屋・商店を一ヶ所に集めて造った新大阪繊維街が完成・開業。その直後、團治郎が何者かに「XD」という謎の秘薬を飲まされ身長250cmの巨体に急成長し、現在の体となる。11月、阪鉄零番街が開業。

1970年:3月15日から9月13日まで日本万国博覧会が開催。中央大通の高速道路下に船場セントラルモールが完成する。東洋武術を研究していた名無しの養父に預けられ、5ヶ月間を兎我野町で過ごすが、彼は扇町公園でスピーチを行っていた難波豹吉に拉致され消息不明となる。以降、3年後に大切に温めていた養父からのお小遣いを持って桜橋の穴蔵に住み着くまで、実質ホームレスだった。

1971年:梅田高麗劇場の東隣に阪鉄セヴンスヘヴンが完成、12月3日に開業。